~Meeting~
夢は大きく持つべきだと思います。
でも夢を夢で終わらせたら、
それこそ夢見る人で終わってしまいます。
どこまで夢を現実的に考えられるか。
それが、夢を持つことの本当の価値なんだと思います。
僕も含めて、生意気なヤツは沢山います。
僕は、そういうヤツの方が好きです。
でも、生意気な人間が、どんなに好き勝手言ってても、
言っていることが実際に実現していなければ、
ほら吹きになってしまいます。
勝ち負けってどこでも存在すると思うんですが、
少なくとも、現実を見ていて、必要ならば
変えられることが前提なんだと思います。
それができていなければ、
次第に相手にもされなくなっていきます。
そこで卑屈になって、従順になったフリとかされると、
もう哀れとしかいいようがなくなってしまいます。
生意気なら生意気で押し通していただきたいです。
厨房とかって、ホントにキツいヤツとかいますよ。
あそこは、常に上を狙う者同士が、
睨み合っていますから。
厨房は、現実的に評価される場所です。
どんなにうまいこと言っても、理想論を並べ立てても、
結果が悪ければ、評価されません。
この段階で見切りをつけて、辞めていく人は多いです。
根性だけでも厨房ではハシリに使われるだけです。
グローバルな時代になって、厨房ではよりシビアになって
きています。それこそ、5年6年修行したら、
その根性だけが認められて、
自動的に上に上がれる時代ではありません。
次から次へと若い人材が入ってきて、食うか食われるかの
世界です。すぐに追い抜かれてしまうでしょう。
多くの人が修行を求めてきますが、
修行は保険とは違います。
授業料を頂いている立場ではありませんから、
こちらが約束をしなければならないようなことは
ないわけです。だから誰もが勝つか負けるかの瀬戸際に
立っています。それが平等というものです。
その中で、寝る間も惜しんで研究し、探求し、考え、悩み、
それが蓄積されて、表に出てきたときに、正当な評価を
受けることができるでしょう。
厳しいことなのかもしれませんが、それができたときに、
初めて夢が一つ現実に近づくんです。
そうやってつかんだ現実は、世間のいう評価に
左右されない、
自分の中の絶対の自信になっているはずです。
ただ、そんなに苦労しなくても、
カタチを作ることはできると思います。
料理の中で言えば、
知識、道具、間違いのないレシピ、など。
これがカタチです。
これらは、
苦労して修行しなくてもある程度は手に入りますし、
やりながらアレンジもできます。
しかし、修行の本来の目的は、
全てを自分の責任に変える転換力をつけることです。
本来の修行とは、なんちゃって修行とは違います。
自分の人間力、精神力、先見力、思考力、洞察力、
恒常性上の推進力などを磨くものです。
なんちゃって修行には、「そんなもんでいいよ」
が多いような気がします。
それには表面上の許容範囲があって、
そこに達していれば
「いいよ」ということです。
しかし、本来の修行では些細な妥協も許されません。
責任を持つ=これは自分との戦いということでしょう。
修行先にもよるとは思いますが、
その中でも上手く逃げている人もいます。
自分にムチ打って、自分に厳しくすることは、
一生という長いスパンで考えると、
並大抵なことではないと思います。
そんな並大抵ではない修行が出来る環境は、
やはり並大抵な場所ではないでしょう。
並大抵ではない人たちの中にいることが、
普通であるかのような人になってくれば、
純粋な同志となるし、励みにもなるでしょう。
自分に厳しい人になれればなれるほど、
器は大きくなります。
自分が強くなればなるほど、行動範囲も
広くなるはずです。
完璧な人などいません。
つらいと思ったら、同じようにつらい思いを
している人に会うことです。
そして自分の話をして励ますことです。
壁にぶつかったな思ったら、勉強することです。
見て、読んで、書いて、知って、試すことです。
辞めたいなと思ったら、すぐに相談することです。
師匠が怖かったら、信頼できる先輩に、
正直に打ち明けることです。
人に相談の出来ない人は、絶対にうまくいきません。
相談しない人は、どこにいってもいずれ孤立します。
気取っているのが一番嫌われます。
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